父は昔から続けているスポーツの会長をしている。
もう辞めれば
って、家族は言ったけど
受傷してからも、ずっと。
その大会に、長男が出場した。
もちろん、父、行く。
一番いい席で、長男の試合鑑賞。
そして
長男、あっけなく一回戦負け。
孫の出番が終わると、
「さぁ、会議するか。」
車いすをくるりと回して、
役員を集めだした。
鶴の一言で、会議が始まる。
長男の試合が終わっただけで
まだ、試合続いてますけど。
がっつり、皆さん背中向けて
会議。
いいんですか?
頸髄損傷になって、
できないことは増えた。
それでも、
人をまとめる姿も、
前を向く姿も、
昔と何も変わらない。
父は、父のままだった。
「ねぇ、これでいいの?」
びっくりして聞くと
「父、2時間のウルトラマンだから。
今、やること多いのよ」って母
車いす2時間が限度だけどさ。
「さすが、父だね」って夫。
すごい、光景。
また、一つ思い出ができた。
あの日から、
父がいなくなる日を考えることが増えた。
理由はある。
受傷した頃、
私は毎日のように検索していた。
「頚髄損傷 平均余命」
どこかのサイトで見た数字は、
5年だった。
そして、父も知っていた。
「俺、あと5年だからさ」って。
なんかの際に、ぽつりといった。
「5年したらいないから」って。
私、いつも返答しない。
だって、いつもケンカしているときに言うから。
本当に5年なのかも、定かじゃない。
でも、きっと寿命は縮まったのかもね。
だから、願う。
2歳の第二子にも
3か月の第三子の
心にも。
父の記憶が、残りますように。
子どもたちが覚えていられる年齢までは
生きていたらいい。
少しわがままいって。
少しね。
「じぃならさー。」
「あの時、こんなことしてたよね。」
全部、笑い話にして。
いなくなった後も、話せるように。
そして子どもたちが大きくなって、
何かにぶつかったとき、
「じぃなら、なんて言うかな。」
「じぃなら、こうしたかな。」
そう思い出してくれたらうれしい。
私が今も、
父の背中を思い出すように。
昼ごはんを食べて帰宅すると、
父はベッドでタブレット。
母は疲れたのか、
隣の部屋で昼寝していた。
さっきまで、
父がいなくなる日のことを考えていたのに。
今日も、
疲れたわって
父のせいにして、
ナースコールは控えめにって言って
子どもと寝落ちした。

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