介護と子育てに奮闘する管理人です。
頸髄損傷の父との暮らしや、家族の介護のリアルを発信しています。
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頸髄損傷の父のケアマネ探し。『この人にお願いしたい』と思った理由

退院準備で、一番最初につまずいたのがケアマネ探しだった。

冊子を渡されて、探してくださいって言われたけど
「どなたを選んだらいいのか」
「父みたいな人を見てもらえるの?」
本当に何も分からない。
動くしかない。

ディサービスに通う90代の祖父ののケアマネさんも候補に上がった。
祖父が寝たきりでの看取りの予定で帰ってきた時、
ケアマネさんは、いろんなアドバイスをしてくれて、
愚痴も聞いてくれて 精神的にもサポートをしてくれた。
だから、ケアマネさんの存在の大きさは、身をもって感じていた。
誰でもいいわけじゃない。
ましてや、長期間介護が必要で、
医療ケアあり。サービスもたくさん使うであろう。

90代の祖父のケアマネさんと話をしてみた。
父の状態を説明しても、
こちらの不安や疑問に対して具体的な提案が返ってこなかった。
今まで、そんな重度の方を受け持ったことがないです。と。
こちらもほぼ全介助の介護の経験も知識も乏しい。
介護経験が少ない者同士で、この先の生活を作っていくのは難しいかもしれない。そう感じた。


重い冊子を開いて、介護保険居宅介護支援事業所を探す。
1件目の電話。
ケアマネさんに、父の状態を話す。
大変でしたねーって。
大変なんです。
なんか、噛み合わない。
看護師だった私は、病気のことを少しは分かっていてほしい、と勝手に期待してしまっていた。
検討します。
そう言って、電話を切った。
こんなものなのかな。
私が主導で、使いたいサービスを見つけて動いていくものなのか。
やることの多さと、分からなさで、眩暈がしそう。

ダメ元で、もう一つの居宅支援所に電話をかけた。

2件目のケアマネさん。
話がスムーズに通じる。
じゃぁ、訪問看護もリハビリも、サービスも必要になってきますね。
そうなの、そうなの。って、心の中で頷いた。
デイケアなら、近いところで、あそこかな。
いろいろ、検討してみますね。
もう、この人がいいって思った。
一度訪問の予定を決めて、電話を切った。
数日後、初めて家にきて、話をした時。
かばんから、父の病気について書かれた資料がのぞいた。

「頸髄損傷」「病態」

あちこちにマーカーが引いてある。

読み込んだ跡が残っていた。

まだ契約もしていない。

それなのに、父のことを勉強してきてくれていた。
サービスを組むだけじゃなくて、父を理解してくれようとしてくれていた。

その瞬間、

「この人にお願いしたい。」

そう思った。

ケアマネさんが決まってから、父は変わった。
というより、安心したんだと思う。

ギスギスがなくなって、柔らかくなった。

自分の体が思うように動かない。
今までできていたことができない。
父だって、分からない退院後の生活。
退院したら、便は外の人にやってもらいたい。
風呂に入りたい。
大きなわがままも言わず、
きっと必要最低限のお願いをしている父。
それでも、家族も、余裕がなかった。
「それは無理じゃない」
「今、時間ないよ」
そんな中で、一番の味方で、要望も愚痴もしっかり聞いてくれる。
「この人なら自分のことを分かってくれる」
と思える存在ができた。

父の性格も、母の性格も、家族の状況も知っていて
M田家のピンチを何度も救ってくれた。
時には、戸惑う私たちの代わりに舵をきって進めてくれた。

そして父は、友人や知人に会うたびに言う。

「いいケアマネさんがいる」

「相談してみたらいい」

いやいや。

「地域が違うから無理ですよ」

「まずは今のケアマネさんに相談してください」

何度説明したことか。

それくらい父は、そのケアマネさんを信頼している。

介護をしていると、
たくさんの人に出会う。

親身になってくれる人。
仕事として淡々と対応してくれる人。

どちらが良い悪いではないと思う。

専門職として、必要な仕事をしてくれることも本当にありがたい。

でも、家族が不安の中にいる時。

一本橋をぐらぐらしながら渡っているような時。

「大丈夫ですよ」
「一緒に考えますよ」

そんな一言や、少しの準備で
涙が出るほど嬉しかった。

支えてもらっているばかりの私。
いつか、子育てが落ち着いたら

ケアマネさんのように、人を支えられる仕事をしたいと思った。

あの時から、今までずっと
ケアマネさんは私の憧れの人。

ケアマネさんとの出会い。

大げさじゃなく、父の介護で一番大切な出会いだったと思う。




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