介護と子育てに奮闘する管理人です。
頸髄損傷の父との暮らしや、家族の介護のリアルを発信しています。
同じ悩みを持つ方の力になれたらうれしいです。

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父が頚髄損傷になった日 死んじゃうかもしれない


「お父さん、帰ってこないね。どこ行ったんだろう?」

その数時間後、私たちが見つけたのは、
変わり果てた父の姿でした。

父は庭のコンクリートの上で、
うつ伏せに倒れていました。

顔から血を流し、
呼吸も弱い。

父だと気づくまで、
少し時間がかかった。

うっすら意識がありそうな父に、

「手、動かしてみて」

そう声をかけると、
握った手が、わずかに動きました。

でも、

「足は? 足動かして」

そう言っても、
足はまったく動きませんでした。

救急車を呼び、
到着を待つ間に、

父の呼吸は、
だんだん小さくなっていった。

さっきまで動いていた手も、
もう動かなかった。

「死んじゃだめだよ」

何度も叫びながら、
必死に心臓マッサージをしました。

病院に到着すると、
医師からすぐに、

「もしもの時、どこまで処置を希望しますか?」

と聞かれました。

母は迷わず、

「できることは、全部してください」

と、涙を流しながら答えました。

私は、その横で、

どんな状態でも生かせていいのか
なぜか少し冷静でした。

夕方、検査結果が出ました。

頭のCTには異常なし。

私は、
脳出血か何かで麻痺が出ているのだと思っていました。

でも違った。

医師から告げられたのは、

「頸髄損傷です」

という言葉でした。

聞いたことはある。

でも、
それが父の身に起きるなんて、
考えたこともなかった。

足が動かないって、
これからどうなるんだろう。

その時ふと、
口に筆をくわえて絵を描く
星野富弘
さんのことを思い出しました。

でも同時に、

「父は絵なんて描けないな」

そんなことを考えた。

このまま、
ベッドの上で生きていくのかな。

夜になり、
ICUで面会ができました。

昨日まで、
一緒にご飯を食べて、
普通に笑っていた父が、

呼吸器につながれていた。

「わかる? わかる?」

そう声をかけると、
父は小さく「うん」と頷きました。

母は、

「もう、バカなんだから……」

そう言って、
父の頭を優しくなでていました。

父は、
いたずらをして怒られている子どものような顔で、

静かに涙を流していました。

その涙を見た時、

私はやっと手足の感覚が戻ってきた。

もし声が出せたなら、
父は、あの時、何を言ったのだろう。

集まった家族みんなで、
何度も、

「生きててよかった」

そう父に伝えました。

でも医師からは、

「血圧も低く、予断を許さない状態です」

と説明がありました。

父の生命力を信じながら、
その日は、家に帰りました。

父が頸髄損傷になった、1日目。

私が第2子を出産して、
3か月が経った頃のことでした。

この時の私は、
まだ知らなかった。

父が生き残った日から、
家族の生活が、
少しずつ変わっていった。

コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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