介護と子育てに奮闘する管理人です。
頸髄損傷の父との暮らしや、家族の介護のリアルを発信しています。
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頚髄損傷6か月。父に増えた『できること』と、迫ってくる退院。

頚髄損傷になって6か月。
3回目の退院カンファレンスが開催された。

それまでに、父ができるようになったこと。

手足の麻痺の程度は、変わらない。
リハビリの先生が、日常生活動作のスコアを出した表をくれた。
整容が1点増えただけ。
顔を濡らしたタオルで拭けるからか。

数字で見ると、ほとんど変わっていない。

でも、数字には出てこない「できること」が、少しずつ増えていた。

寝る前にティッシュを動かない手に握らせておくと、
自分で痰を出せるようになった。

よしっ。
これで夜、起こされる頻度が減るぞ。

父はラジオをよく聞いていた。
しかも、早朝に。

毎回、看護師さんにつけてもらうのも悪い。

そこで、アレクサを買ってみた。

父の部屋から、

「アレクサ、ラジオつけて」
「アレクサ、音楽かけて」

「アレクサ、アレクサ!」

と、声が聞こえるようになった。

アレクサ、アレクサ……。

呼びすぎて、嫌われないようにね。

声で操作できるのは、手足が動かない父にはありがたい。

きっとアレクサには、もっといろんなことができる。

でも、機械音痴の私には、
ラジオと音楽が限界だった。

もっと、詳しい人に教えてもらいたい……。

そして、万能カフにペンを入れて、
字を書けるようになった。

父の部屋を整理していたら、
これからやる予定だった習字セットが出てきた。

墨は、迷わず捨てた。

……いつか、また習字ができる日が来るのかな。

ペンタブならできる?

父には、デジタルが必要なのかもしれない。

でも、それについていく私の知識がない。

それでも父は、
今できる方法で、長男にせっせと手紙を書いていた。

それから、私がリハビリの先生に頼んだ
ベッドでいながら、自分で飲水できるようにしてほしいと。

父の自由と、私たちの手間のため。

リハビリの先生、すごいものを作ってくれた。
ペットボトルに長いストローとそれを支える支柱がついていて

ベッドの上で飲水ができるようになっていた。
ストローが長い分、吸うのは大変そうだけど。

一つ、自立した。

これは、ありがたい。
長いストローがついているから
M田家では「鶴」と呼んでいる。
「鶴のお茶終わった」って。
入院中より、少し動けるようになった父。
起き上がって、コップでお茶飲めば?

「いや、鶴、楽だから使う」

って父。

鶴、大好き。


それから、サービスも決まってきた。

我が家の退院後のサービス(3回目の会議の時点で)

・デイケア:週3回
・デイサービス:週1回
・訪問リハビリ:週1回
・訪問看護:週1回
・ショートステイ:退院後、一度利用してみる
・主治医:自宅から徒歩10分ほどの内科クリニック

往診も考えたけど、
「10分くらいなら行けるでしょ」ということで、往診は頼まず。
月1回くらいの予定。

まぁ、この病院に行くのも、いろいろあった。
これは、また別の話。

そして、年末に2泊の外泊が許可された。

退院は、外泊してから2週間後。

外泊してみて、またいろいろ見直しましょうって。

ここまで来た。

「本当に帰ってくるんだよね」
「帰ってこない理由がないねー」

私たちは、何度もそう言いながら準備を進めた。

でも、この頃にはもう、
「帰れるかな」ではなく「どうやって帰るか」を考えるようになっていた。

家族の覚悟も、少しずつ決まっていった。
……いや、決まっていったというより、
決めるしかなかった。

もう、父が帰ってくる日は決まっている。
退院カンファレンスで何度も、退院日を言われる。
分かっているって。
私たちが「やっぱり無理」と言える状況でもなかった。

「本当に大丈夫ですか?」
「無理じゃないですか?」
って聞かれたら。

「ちょっと無理です」

って、言いたかった。

でも、誰も
「無理なら、やめてもいいですよ」
なんて言ってくれない。
手綱で、在宅に引っ張られていくし。
手綱、緩まないし。

そんなことを思いながら、
父が帰ってくる準備を進めていた。

もう、帰ってくる。

だから、準備するしかなかった。

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