介護と子育てに奮闘する管理人です。
頸髄損傷の父との暮らしや、家族の介護のリアルを発信しています。
同じ悩みを持つ方の力になれたらうれしいです。

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文字盤での会話。父の“伝えたい”を必死に拾っていた,あの頃①

父と文字盤の話を書こうと思った。

でも、
記憶が曖昧。

私だけでなく、家族みんな。

「気切してた時、
呼吸器つけて

筆談してたんっだっけ」

「あれ、
口に管入ってなかった?」って母。

口に管入ってたら棒くわえられないじゃん。

気管切開してから、文字盤したんだっけ

あれ、どうだったっけ。
家族みんなで話してた。

「おれ、
呼吸器つながってた時あった?」

って張本人の父。

正しく覚えている人、いない。

あの時、
がむしゃらだったせいか。

非日常すぎたせいか。

たくさん壁にぶち当たって、
記憶がごちゃごちゃになってる。

まぁ、

大変だったこと、
忘れられてるなら

それは、
幸せなのかもしれない。

因みに、思い出すために写真見返してみたら

受傷してから2週間後の写真で

気管切開のところから

呼吸器取れて、酸素流していた。

つば呑み込めなくて

口に吸引するチューブずっと咥えていたわ。

弱々しくて。

動画の中の母の声が、
すごく優しかった。

なんだか、
泣きそうになった。

その前の父が映っている写真が

第2子抱っこして、長男と折り紙切っているところだった。

すごい、急展開だわ。

そんな、
父と文字盤と、

ちょっとがんばってた頃の私の話。

あの頃の父は、
腕が少し動く。

いや、
“曲がる”
って言った方が正しい。

細かな動きはできない。

手は握れない。

首の神経って、こんなに色んなことをしてたんだなって、
動かなくなって初めて知った。

でも、頭は、かなりしっかりしている。

しかも、元々、几帳面な性格。いやだわー。

痛い。
痒い。
痰がつらい。

それだけじゃない。

言いたいことなんて、山ほどある。

だって、

体が動かない。
しかも、それが“一生”かもしれないって言われてる。

泣きたくもなる。

でも、涙が出ても、自分で拭けない。

父は、私の前では泣かなかった。

痛いは言ったけど

辛いは言わなかった。

死にたいとも、言わなかった。

でも後から、
違う人には、少し泣いて弱音を吐いていたって聞いた。

それが、私には有難かった。

いつも、弱音を吐かず、前を向いてくれていた。

「泣いても、涙ふけるようになりなよ」

って軽口叩かせてもらえた。

存分に。

そんな中で出会ったのが、“文字盤”。

ICUの看護師さんが用意してくれた。

口に棒をくわえて、
ひらがなが書かれた板の文字を一文字ずつ指していく方法。

最初は百均で買った「黒板を指す棒」みたいなのを使ってた。

でも重い。笑

前歯、欠けたよね?
いや、抜けたんだっけ。

それくらい必死だったんだね、父。

長さが必要かと思って、筆にしたこともあった。

でも、丸いと歯で抑えにくかった。

一番良かったのは、

歯ブラシのブラシ部分を折って、
子どもが落としてたレゴのブロックを先につけたやつ。

軽くて使いやすかった。

めちゃくちゃ手作り。笑

病院の文字盤も大きすぎて使いづらかった。

首を左右に振るたびに、
父の頭が赤べこみたいになってて。

首にカラーつけてて、こんなに動かしていいの?

見てるだけで疲れそうだった。

だから透明の板を買って、
自分たちでひらがなの文字盤も作った。

そんな感じで、
しばらく父とは文字盤で会話していた。

でもこれが、本当に時間かかる。

一文字ずつ。

「こ?」

「え?違う?」

「これ?」

「ちょっと待って、疲れた?」

みたいなやり取りを延々してる。

母なんて、

「私、分からないから無理!」

って、
言葉を失った父に普通に言ってた。

びっくりするくらい潔い。

母でしかできない技だわ。

でも父は、
それでも一生懸命伝えようとしてた。

こっちも、
何とか分かりたくて必死だった。

ちなみに「DVD」って言いたかったのを理解するのに、2日かかった。

だって、
ひらがなの文字盤、小さい「い」ないし

でぃぶぃでぃって指さないで

「でえい」って

もうなんのこっちゃ。

そもそも、

長男にDVD見せることなんて、

今、
どうでもよくない?

みたいな。

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